コドモ嫌いなこども
私は小さい頃、子供が周りにいない子だった。しかし、その分、大人が必要以上に大勢いたのだ。今から考えれば、子供との接し方が分からない子だったのだ。母が5人兄弟の一番上と言う事もあり、私は母の一番下の妹が中学生の頃に生まれたのだった。初めての孫に母方の祖父母は完全に舞い上がり、また母の兄弟達も、赤ちゃんは初めてだったので、おもしろくて、かまってくれたのだと思う。そういう意味では過保護とも言える環境だったのだ。さらに、我が家は理髪店だ。時代も手伝って、非常に多くのスタッフがいた。皆、「大将の孫」という事で、遊んでくれたのだと思う。その上、母の兄弟の配偶者、さらには母の従兄弟まで、加わって、やたらと賑やかだった。
あまりにも、大人の間で育ちすぎた為、子供・・・特に同年代は苦手だった。幼稚園でもトモダチは、いなかったと思う。思い出すのは、いつも幼稚園のフェンスと木の堺にある土手で、空想にふけっていた事だ。集団で遊べない子だったのだ。よく保母さんが、探しにきてくれたものだ。でも、当時としても、ブランコやジャングルジムより、土手で空想の方が楽しかったのだ。仲間に入れない自分をどーこー思った事はない。むしろ、誘ってくれる保母さんがうっとうしかった。
私の通う、幼稚園は寺と一緒だった。そのせいか、あとあと考えるに随分、保育園とは違う内容だったと思う。お泊り保育、座禅をくむ為の座布団を自分で針と糸で縫う事、絵画教室・・・。小さいけどプールもあった。のちに従兄弟達が通った保育園では、丸いエアーでふくらます、ほとんど家庭用のプールに入ってたのには驚いたもんだ。
お泊り保育・・・風呂はなんと、近くの銭湯に行ったのだ。今はその銭湯も無くなってしまった。銭湯なんて、当時は行った事無かったので、とまどってしまった。後に、今のような銭湯好きになるなんて考えもしないけど。そして、晩御飯は混ぜ御飯!これも悲しい思い出がある。予定では「カレーライス」だったのだ。私はカレーが大好きだったので、すごく楽しみにしてた。しかし園長先生が「カレーはスプーンで食べるからダメ!日本人は箸!」と言い出したので、突如「混ぜ御飯」になったのだ!大人びて可愛くなかった私は理屈をこね回し、親及び祖父母、はたまた叔母やスタッフにまで「園長先生はおかしい、日本人はカレーを食べちゃダメって言ってる。」など一通り、園長先生の生活スタイルについて、文句を語った。
手縫いの座布団だって、幼稚園児には行き過ぎの課題だと思う。針と糸なんて危ないじゃん!とは言え、私はこういう作業はキライではなかった。ただ黙々と縫っていた、多分他の子より出来上がりが上手だったように思える。ただ、「オトナになるってツライ。」っておもった事は覚えてる。そんな事を考える私は、やっぱり可愛くなかったのだ。
絵画教室にいたっては、延長保育のようなものだった、両親が仕事を持ってた事に加えて、母が絵が得意だったので、自分の子も上手だろう・・・、という企みもあって、入れられたのだと思う。しかし、私は今も昔も、絵に興味はないし、描けない。
ここの、最大の問題点は、絵の対象が、寺の「本堂」の中、限定という事なのだ。当たり前だが本堂の中で、描くものなど、それこそ限定される。お釈迦様だか、観音様だかの像しかないのだ。どうせ絵心など、無いのだから、何を描いても良いのだが、困るのは、金ピカの像しか、描くモノがないので、クレヨンの黄色と黄土色ばかりが無くなる事なのだ。しかも集中的に!他のクレヨンは新品同然のモノだってあるのに、その2本は無くなってしまう。クレヨンの別売りって、今でもあまり聞いた事がない。
しかし、描くモノが像しか無い以上、減るのはそればかりなのだ。しかたなく、母に申し入れ、新品一式を買ってもらう。しかし、またすぐ無くなる。他は新品なので、ケチな母は渋ってくる。
しかも、同じ色ばかりが無くなるので、「もっとイマジネーションして、考えて使え!」と言うが、幼稚園児相手に何を言ってるのだ!自分が「なんちゃって芸術家」なので、さも分かったような口振りで怒るのだ。
しかし私は母が家を出てったり、自分が捨てられるのを恐れてたので、自分なりに頑張ったが、幼稚園児なので、無理がある。しかたなく、祖母に頼んで、新しいクレヨンを買ってもらうが、新しいクレヨンに気付いた母は、また怒る。どうして、行きたくも無い幼稚園に行かされて、入りたくない絵画教室に入れられて、描きたくも無い絵を描かされて・・・私のストレスはたまるばかりだ!しかし母の怒りとオトナにならなきゃ!という思いが、私のストレスを内にひそめさせたのだと思う。
なんだか、ストレスの多い幼年期だなあ、それでも、嫌がりながらも、やるタイプなのは、この頃から、変わらない。最近、思うのだが、お客様の子供を見ていても、何が何でも、ハッキリ拒絶するタイプや、お菓子等につられないタイプは、後に意外と、朗らかで素直で単純だと思う。
妙なほど、聞き分けが良いタイプや、母親や祖父母がなだめすかすタイプは、後に無口でシャイだが、手間がかからない。私は後者かなあ?
それより、何より何故、自宅から歩いて5分の保育園に行かせず、バスで10分の幼稚園に行ったのだろうか?
ともあれ、数年前に、その幼稚園の系列の寺に、「墓」を買えたのは、私が卒園生だから、というのが決め手となったらしい。なかなか、墓も買えないご時世なので、嫌だった幼稚園もいま頃、役に立ったようだ。
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